監督突撃インタビュー第一弾

 各都道府県には、様々なカラーでチームを率いる監督たちがいます。

そんな監督たちの強く熱い思いを知っていただきたい!

トップバッターは功労賞を受賞した、神戸シャインスターズの角 正人監督。

子どもの頃は外野手だったそうです。




◎障がい者ソフトボールに携わったきっかけは何ですか?

 神戸で、知的障がい者の余暇活動を拡げたいと考えたAさんの声掛けで集まった有志が、ソフトボールサッカーバスケマラソンなどのチームを作ることになり、草野球をやっていた私は、ソフトボールのコーチとして参加することになりました。この集まりは「共に歩む会」と言い、他にも綱引き大会や青年学級などの運営もしています。

 チーム立ち上げの直後に阪神・淡路大震災に遭いましたが、当時の初代監督の尽力で、チームの活動は継続できました。

 

 

◎チームのカラーを教えてください。

 大人が、休みの日に、楽しみで、やっているソフトボールなので、練習は勝手に休んでもよく、遅れてくる人も珍しくなく、礼儀をうるさく言うことはなく、ミーティングもあんまりしません。練習中は冗談・おしゃべり・笑いが飛び交っています。他のチームと比べて、ゆるーいチームだと思っています。

 でも、ソフトボールの本当の楽しみは「勝つこと」。ここにはこだわっていきたいと思っています。

 

 

◎印象に残っている試合はありますか。

 監督になって間もない頃(20年近く前)、明らかに格下(失礼!)のチームと練習試合をしました。

 相手打線は、当時全盛期を迎えようとしていた我がチームのエースを、ポカスカ打まくりました。一方の我が打線は、何のことはない(ように見える)相手ピッチャーに、ことごとく打ち取られました。

 「なぜ相手はあんなに打てるのか」「なぜうちこんなに打てないのか」「どうすれば打てるようになるか」「自分にできることは何か」

 その試合の後から始まった、私の苦悩と試行錯誤は、今も続いています。

 

 

◎チーム名「神戸シャインスターズ」の由来を教えてください。

 チームができてから「共に歩む会ソフトボールクラブ」という名前で活動していました。また、全国のチームとつながるようになってからは「神戸共に歩む会」と名乗っていました。

 令和5年11月、三重県での西日本大会で宿泊した夜、選手・スタッフ全員で、新チーム名を決める話し合いをしました。前もってみんなから集めていた候補(30こくらいあった)を並べ、意見を交わすことちょうど一時間、多数決で決めることになるだろうとの予想を裏切り、なんと全員一致で、「神戸シャインスターズ」という名前に決まりました。

 

 

◎これからの思いや展望を教えてください。

障がいがあっても、ルールがよくわからなくても、うまくプレーできなくても、「やりたい」「好き」という気持ちがあれば誰でもがソフトボールを楽しめる、そんな機会を保つことを、一番大切にしたいと思っています。

②一方で、競技としてのレベルアップが著しい昨今、トップレベルのチームには、知的障がい者の枠内に留まるのではなく、それぞれの地域の一般のチームの大会にも普通に出場し、活躍してほしいな、と考えるようになってきました。

 

 ◎伝えたいことはありますか。

 切実に、スタッフを募集しています。ソフトボールの経験・年齢・性別は不問です。

 私は、このチームに30年関わってきました。休日がつぶれるし、大変なこともありますが、おかげで、全国に仲間ができ、自分には縁のないはずの全国大会に連れて行ってもらい、たまに表彰されたり胴上げされたり、この歳になっても楽しく汗をかく機会をもらっています。神戸市内やその近辺にお住まいの方、いっしょに楽しみましょう。ご連絡お待ちしています。

tel:090-6059-1232

mail:gen-sentkya@k.vodafone.ne.jp




次に打席に立ってくれるのはどこのチームの監督でしょうか。

お楽しみに☺︎